瞬間 (『瓜を破る』第6巻 感想)

 『瓜を破(わ)る』は板倉梓による漫画作品である。芳文社発刊の漫画雑誌「週刊漫画TIMES」にて連載されており、つい先日、TVドラマ化が発表されたばかりだ。そして本日10月16日には単行本の最新8巻が発売となった。

 

 先月のある夜、うまく寝つけず未読のこの漫画を何気なく手に取ってみたところ、ページをめくる手が止まらなくなり、既刊7冊を一息で読み終えてしまった。遅読で集中がなかなか続かない自分としては、これは非常に珍しい体験だった。それこそ、このブログでも取り上げた、昨年の5月に『ゴールデンカムイ』や『進撃の巨人』を一気読みして以来の漫画への集中力が発揮された夜だったように思う。

 

 「集中力が発揮された」なんて書くとまるで読み手である私の何か頑張りのようにも取られ兼ねないが、この作品の持つとてつもなく大きな求心力がどこまでも続きを読ませただけのことである。中でも今回、殊更にその内容を称えたいのがシリーズ第6巻だ。このエントリではそんな第6巻の感想を中心に書いていく。以下、まずは作品のあらすじ。

 

30代処女が抱える性的コンプレックスの行方とは…!? ごく普通の会社員・まい子には人に知られたくない悩みがあった。それは30歳を超えても性体験がないこと。劣等感に悶々とする彼女は自分を変えるべく行動を起こす。誰もが心当たりがありそうな、言葉にならない思いをあぶり出す現代の冒険譚。

 

 前提として、この作品の主人公はあらすじの通り、性体験がないままに30歳を超えていることに性的なコンプレックスを抱える会社員のまい子だが、並行してその周辺人物の恋愛劇も同時に展開される。すでに子供のいる家庭や、10年間同棲を続けるカップルなど、アラサーかそれ以上の年齢の登場人物たちそれぞれの恋愛劇が常に女性視点から描かれるのがこの作品の特徴だ。しかし、今回取り扱う第6巻では、その収録話のすべてがまい子とその恋の相手である鍵谷とのストーリーに終始されており、他のヒロインたちは一切姿を現すことがない。このような構成を採ったのはこの第6巻が初めてである。そして、第1巻から長く続いた、ある一つの作品テーマが結実する記念碑的な一冊にもなっている*1

 

 先ほど、この作品は女性視点から描かれる恋愛劇が特徴であると説明してしまったのだが、一つ訂正をしなければならないのは、まい子と鍵谷の織りなす主人公ペアのドラマのみ、その限りではないということである。他の男性たちとは違い、鍵谷の視点からは実に多くのことがまい子同様モノローグ等を使って語られる。鍵谷がその時々で何を考え、どのような行動を取るかが具体的に読者にも分かるように描かれており、主体はまい子と鍵谷を並行させて進んでいく。もしも他のヒロインたちと同様に、まい子の視点のみで描かれた場合、間違いなくこのドラマはここまで豊かなものにはなっていないと断言できる(というか普通に破綻してしまうだろう)。というのも、このペアが見せるドラマのおもしろさというのが、二人はお互いに強く惹かれ合っているというのに、相手への遠慮やよく思われたいという欲求からおかしいほどにすれ違い続ける様にあるからである。

 アラサーに至るまでほとんど恋愛経験もなく生きてきた未交際の二人が、長瀞デートでの緩い会話の裏で各々繰り広げる「どうすれば私たちの関係は次のステップへ?」「そもそもこの好意を伝えることは相手に迷惑なのでは?」といった、なかなか表出されることのない欲望や逡巡を、この第6巻の序盤では、その過多なモノローグでこれでもかというくらい執拗に見せつけられる。二人揃ってどこまでも奥手なために、なかなか進展を見ない恋のじれったさに多くの読者が痺れを切らすことになりそうだ。しかしその展開の遅れを取り返さんとするのが、その夜、デートから二人して鍵谷の家へと帰ってきた中盤以降の展開だ。そして、この『瓜を破る』第6巻を圧倒的な傑作たらしめているのはその部分のある一幕に他ならないと感じている。

 

 それはほとんど奇跡的な引力だった。

 遠出までしたデートで、まるで相手に踏み込むことができず、意気消沈している二人は、玄関先で不意に起こった視線の交換から、まるで示し合わせていたかのように引き寄せられ口づけを交わす。どうして冷え切ったあの状況からこうも情熱的な展開へと発展させられたのか、その理由を言葉にするのは果てしなく難しいが、寧ろ物語がそのように進行しないことの方が何かの間違いである、と読者に確信させる程に張り詰めた刹那を作者は見開き一ページに描いてみせた。これを読んだ誰も彼も、この筆致に共感と納得以外を見いだすことはできないだろう、そんな圧倒的な説得力、そしてその奇跡的な瞬間の切り取られ方に暫し酔いしれることとなるはずだ。

 私はこの、"瞬間"を意識させられるというところにこの漫画の凄みを感じずにはいられなかった。

 映画や音楽と違って、漫画は読者それぞれのペースで自由に読み進めることができる媒体だ。一ページをじっくりと読み込むことも、煩わしいと思えばほとんど最小限の文字を拾って読むこともできてしまう。そのため、読者間で共有されるような"瞬間"を意識させられることはとても少ない。

 しかしこの場面には、抗うこともできず、時間感覚を完全に作者に掌握されてしまうような恐ろしくも心地よい実感がたしかにあった。誰にとっても一瞬時間が停止したかのように錯覚させられるページの力。それは漫画が魅せるマジックだと思う。

 そのすぐ後には、一日中すれ違い続けた二人が胸の内をやっと吐露し合える祝福的な場面が続く。恍惚とした緊張状態のあったページから、また読者それぞれの自由な時間の感覚に戻されるかのような安らぎを感じずにはいられない、鮮やかで隙のない進行だ。あまりにも清々しく爽やかな漫画体験である。

 

 この先の展開についての詳細は控えたいが、驚くべきことに視線の交換によるマジックはこの巻の中でもう一度だけ起こることとなる。勿論、そのことによって一度目の神秘性が削がれることはない。脆くも崩れ去ってしまいそうな二人の関係を、なんとか保たせた二度の奇跡的な事象に、ただただ運命というものを感じるのみだろう。

 

 余談、翌朝の鍵谷宅でまい子は食器を洗い、鍵谷はシャワーを浴びる。数カ所でお湯を同時に流すことでなんとも頼りなくなってしまったアパートの水圧に、キッチンとバスルームにいるそれぞれが「お湯の出悪っ」と心の声で見事にハモる。ほとんど終盤の場面である。星野源が2ndアルバム『エピソード』あたりで歌にしていてもおかしくなさそうな、生活の中の滋味深く尊い瞬間であり、昨日はあんなにすれ違い続けた二人が些細なことながらも同時に同じことを考えられたという非常に微笑ましい場面で好感が持てる。

 そしてその直後にはこれまたあまりにも耽美な幕引きが待っている。どこまでも贅沢に、徹頭徹尾、愛について描かれた漫画である。

*1:ちなみに第6巻はまい子以外の軸で進む他のストーリーが入り込まないうえに、その中でも収録Episodeの始まりから終わりまでが緻密に計算されているため、この一冊だけで漫画作品としてかなり完成度の高いものになっていると感じる。そのために現時点でこの巻ばかりを反復して10回以上も読み返す羽目になった。