『ふつうの軽音部』を毎週の楽しみにしている

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 6月9日に『ふつうの軽音部』第25話が更新された。連載が開始した今年の1月頃から毎週、ジャンプ+で最新話が更新されるたびに追いかけていたお気に入りの作品であったが、4人目のバンドメンバーとしてリードギターの藤井彩目が加入することとなるこの第25話は、これまでを振り返ってみても特に印象的で白眉のエピソードだったように思う。

  恋人から別れを言い渡され、軽音部の退部を考えていた彩目を、主人公・鳩野ちひろがその歌声によって思い直させ、ちひろのバンドへの加入を決意させた回である。一人の必死な歌声が誰かの胸を打ち、ポジティブな方向に人生を選択し直させるなんて、これ以上に素敵なことってそうそうないし、それは歌、ひいては音楽に対して作者からのこれ以上ない肯定だと受け取れる。その描写をこれ程までに美しく、それでいてごく自然に見せてくれたことが作品のファンとして何よりもまず嬉しかった。

 

 思い返せば、ちひろとバンドを組むこととなった幸山厘、内田桃という先の2人もともに、その加入を決意した最大の理由は、ちひろの歌声を聴いたことによるものだった。本人は、中学時代に友人たちと連れ立って行ったカラオケでその歌声を馬鹿にされてからというもの、人前で歌うことに極度な苦手意識を持っていたのだが、少なくとも3人には、この歌声のバックで演奏をしてみたいと思わせる確かな求心力があったということになる。

 ただ、今回の彩目の加入だけが他の2人のときと違っていたのは、厘と桃はちひろの意思に反してその歌声を聴くことになるのだが、彩目に対してはちひろが自分の弾き語りを聴きに来てほしいと自ら頼んだことである。これはかなり意図的な作劇で、それまでは自分の歌声に自信が持てなかったちひろの成長を見せる働きを強く持っている。校内での初ライブでフロントマンとして散々な姿を聴衆に見せてしまってから、毎日、公園でひとり弾き語り修行を続けていたちひろのその一夏の努力が、彩目の加入という、バンドにとっての最高の形で結実することとなる、明確な成功を描いたエピソードである。

 

 過去に"キモい"と馬鹿にされてしまったちひろの歌声ではあるが、時にこの歌はある特定の聴者に輝かしかった時代をハイライトとして思い起こさせる力を持つ。ちひろが歌うHump Backの「拝啓、少年よ」を聴いた桃は、親友たちとバンドを組むきっかけとなる一連の出来事を、スピッツの「スピカ」を聴いた先輩部員のたまきは、密かに思いを寄せていた先生と過ごした日々のことをフラッシュバックさせる。メタ的な読みにはなるが、先にも書いているような、カラオケで笑い物にされたことが原因で自らの歌唱を封印することとなったその来歴とともに、このある種の特殊能力めいた歌声は、ジャンプ系列の作品としてはなかなか気が利いているというか、スポーツ漫画なんかで見られる、実は隠された才能を持っていた主人公のようにも見えるためなんだかかっこよさすら漂う。しかし作品タイトルの通り、その能力は「ふつうの」域を決して出ず、今の段階ではごく少数にしか発揮されていないという、そのさりげなさにも大きな好感を抱いている。

 

 いま、ちひろは自分が歌うことでほんの少しでも何かを好転させられるかもしれないと、ギターを手に取り歌い、そしてそれを信じたバンドメンバーたちが彼女の元に集結した。作中の厘の言葉を借りれば、大袈裟ではなく本当にそれは"導き"としか言いようがない。だが決して神仏のような超自然的な力によるものではなく、紛れもなく彼女の内にあった、伝えたい、届けたいと思うありのままの心が起こした導きだ。その部分にこそ、読んでいて心が震える。

  我々が日常的に生活をしている中でも、人間が咄嗟に繰り出す破壊的、衝動的、刹那的な行ないを指して"ロックだ"と形容されるのを耳にする機会はままある。でも、私はこの作品の中で丁寧に描かれてきたような、自分の気持ちを伝えたいために歌や音楽を用いる人間の心の動きにこそ"ロック"という言葉はふさわしいのではないかと思ってやまない。

 

 2022年の『ぼっち・ざ・ろっく!』の放送から始まって、TVアニメはいまバンドものの注目作が集中する時代の只中にある。翌2023年は『 BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』、そして2024年は、現在放送中の『ガールズバンドクライ』、どれも本当に素晴らしい作品で目が離せないでいる。

 もしこの『ふつうの軽音部』がTVアニメ化をすれば、他のどれとも違うアプローチで音楽の魅力を視聴者に伝えてくれるそんな傑作になるだろう。様々なバンドの既存曲を歌唱する描写があるためもしかしすると実現は難しいのかもしれないが、それより何よりも問題となってくるのはちひろのボイスアクトを誰がやるかということのように思う。特徴的な歌声で、みんなには好かれないかもしれないけれど、ただしハッキリと熱が感じられるというそんな歌声。いま思い浮かぶ最適解がシンガーソングライターのカネコアヤノなのだけど、どうだろうか。あまりにも絵空事ではあるかもしれないけど、ほんの少しそんなサプライズを夢想しながらも気長に待っていたい。