あれから6年経つんですって


 『君の名は。』をIMAXで鑑賞しました。私は公開当時に映画館で2回見たのみで、その後はBlu-rayも手に入れましたが、結局それも今までに一度も再生することはありませんでした。だから今回の鑑賞は実に6年ぶりのことです。

 これは見る前からなんとなく分かっていたことでしたが、覚えていないことがほとんどありませんでした。もちろん一つひとつのセリフやカメラアングルのすべてを記憶していた訳ではありません。しかし、物語はまったく思った通りの展開を見せました。最近見たような作品でもしばしば「あの映画ってどういう風に進んで最後はどうなるんだっけ」と頭を抱えてしまう、貧相な記憶力しか持ち合わせていませんが、どうやらこの映画のことはぜんぜん忘れられずに今日まで過ごしていたようです。

 

 あれから6年が経つんですって。

 

 赤黒い流星が厚い雲を突き破り、湖に目掛けて落下する映像の直後、「朝、目が覚めるとなぜか泣いている…」という少女の独白を、私たちが初めて劇場で耳を澄ませて聞いたあの時から、もう6年が経つんですって。

 

 今から6年前の2016年、新海誠が何を思ってこの作品を作ろうとしたのか。多額のバジェットと大勢の人間を動かしてのプロジェクトですから、まあ無限のことを思いながら制作していたことでしょう。でも一つには、さらに遡ること5年前の2011年、大勢の人々の日常をあっという間に奪い去ってしまったあの日のことを念頭に置いていたことはまず間違いありません。この映画が終盤で見せる、実際には起こり得るはずのないあの奇跡を軽々しく「祈り」だと言ってのけるのは少々憚られます。しかし、映画監督として、芸術人として、このような形で現実と折り合いをつけようとする新海の姿勢に少なくとも私は胸を打たれました。同様の理由で、2021年の漫画作品、藤本タツキの『ルックバック』にも。

 これはアレハンドロ・ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』という半自伝の映画を見た際にも感じたことですが、ある種の「やり直し」を描くということは物語の持つ特権なのかもしれません。現実に深く傷ついた人たちの心を少しでも癒やせるのであれば、せめて芸術作品の中だけでも尊いやり直しは描かれてもいいのではないか、というのが私の考えです。

 「やり直し」ということでもう一つ付け加えて言うと、この映画は監督の過去作である『秒速5センチメートル』のやり直しにもなっています。最後、言葉を交わすことは叶わず、踏み切りですれ違っていった高樹と灯里。『秒速』のあのビターなエンディングと、『君の名は。』のラストシーンははっきりと対になっています。より大衆にウケそうな結末にしただけとも思える『君の名は。』のラストですが、成熟した新海が、この結末を選べるようになったと考えればそれなりに熱いものがある。

 

 この後に新海は2019年の『天気の子』で、「セカイか、君か」という二択の果てに東京を沈没させるという暴挙に出ましたが、そんな好き勝手をやっておきながら、映画はなぜか大ヒットという神業を見せてくれたことは記憶に新しいです。

 そして今年の11月に公開される『すずめの戸締まり』。正直、予告編を見ただけではどんな展開を見せる物語か想像しがたいですし、映画がどれくらいヒットするのかもぜんぜん読めません。ただ、『君の名は。』とも『天気の子』とも性質の異なる物語にはなりそうで期待しています。

 思えば『君の名は。』の大ヒット以降、二匹目のドジョウを狙ったような、なんだかとにかくキラキラとした雰囲気の、ティーンが主人公のラブ・ロマンスを描くアニメーションはどっと増えました。『天気の子』を見たとき、新海誠はそういった雨後のたけのこ的な作品群との違いを明確に見せつけてくれる作家であると感じました。おそらく『すずめの戸締まり』もそういった他とは一線を画すような驚きを見せてくれる作品になるのでしょう。

 

 『君の名は。』から6年経つんですって。新海誠は『君の名は。』公開当時からは信じられないくらい、ずいぶん先まで進んでいったようです。

 しかし私はどうでしょう? あなたはどうですか?